こんにちは、モエコです。
2018年7月29日(日)、ライブビューイングで舞台『刀剣乱舞』通称刀ステの「結いの目の不如帰」を観劇してきました!
観劇した友人たちが「ヤバい…ヤバい…」とうわごとのように呟いているのを見ていたので一体どんな恐ろしい話だったんだ…いや末満さんだもんな…と思いながらドキドキしながら観に行ったのですが案の定ヤバかったです。
普段は刀ミュの女をしているのですが、刀ステも本当に面白いです。純粋に物語ってこんなに面白いんだ…!て思うくらい楽しめます。そういう意味の驚きで言えばジョ伝は群を抜いているのですが、今回の悲伝はこれまでの舞台『刀剣乱舞』の世界のそもそもの前提を明かすような物語でした。
歴史にも詳しくない上に悲伝はライビュでしか見ていないので時系列もめちゃくちゃ・難しい考察は一切できませんがこれから見るよ!って方は自衛してくださいね。。
刀剣乱舞における歴史の概念
これは刀ミュの方でもそうなんですけど、刀剣乱舞という作品にとっての歴史観って、「正しい歴史は一つではない」ということだと思うんですよね。
この歴史観は、刀ミュでも、特に三百年の子守唄、つはものどもがゆめのあとで強く出ていたように思います。
「歴史とは大きな川のようなもの」「小さな出来事が変わったとしても、大筋に影響は与えない」
刀剣男士達が何度も何度も歴史をさかのぼる中で、必ずしもすべての出来事が「自分たちの知っている通り」に起こるとは限らないわけです。
そして、たとえ自分たちの知っている通りのことが起こらなくても、歴史の大きな流れは変わらない。
このことが、今回の三日月の「徒労だったのではないか?」という問いにつながっていったのかなと思っています。
三日月宗近という刀
室町以降、数ある日本刀の中で特に名刀と言われた5振りの刀、天下五剣のうち、最も美しいといわれる三日月宗近。
ゲーム「刀剣乱舞」においても、ゲームを代表するキャラクターとして描かれます。ゲームに出てくる三日月宗近はもっとのほほんとしたイメージですが、常にほかの刀とは一線を引いた描かれ方をしています。
特に鈴木拡樹さん演じる三日月宗近は、いったい何を考えているのか、全然わからない・悟らせなさ過ぎて、これまでの作品も彼に対してある種畏怖のような感覚を覚えていたのですが…。
だからこそ、今回は足利義輝という前の主の命を救えなかったことに対して
「できることなら助けたかった!でもあの戦いで…自分が使われることはなかった」
※台詞うろ覚え
と声を張り上げる三日月さんに、そんな…そんな風に考えていたんだ…と、もう泣くしかない。。。。
そもそも刀剣男士たちは「神様」ではあるものの、「付喪神」という存在であり、では「付喪神」が何か?というと「モノに思いが宿ったことで生まれたもの」なんですよね。
そして三日月宗近は「刀」という「モノ」であり、1000年もの間の人々の思いを受け取ってきたその集合体。
そう思えば、彼に感情がない、何かわからないものという感情を抱くこと自体が違っていて、彼は人に愛されたからこそ、彼自身が人を愛し、モノを愛し、そうして成り立ってきたんだなあと。
刀ミュの三日月も、人の子、刀の子たちを愛しい愛しいと導くんですよね。そして巻き込みたくないと、自分だけが背負えば良いと口を閉ざします。
悲伝の悲も、三日月の「巻き込みたくない」という愛ゆえに生まれてしまったものなんだと思います。
何故三日月宗近が結いの目になったのか?
そもそも、なぜ三日月が「結いの目」として歴史を繰り返したんでしょうか?
ここについては悲伝では明かされませんでしたね。まだ続くと思ってよいんでしょうか。刀ミュでも、つはものでは三日月だけが何度も同じ歴史を繰り返し、そのたびに色んな結末を見ていたようでした。
三日月宗近という刀が、本当に特別な存在として本丸に在るんですよね。
今回の悲伝では、その三日月をも子として扱う、刀剣の父「小烏丸」がいてくれたことで少し救われた気持ちもありました。
特別な存在であるからこそ、三日月が揺らぐと本丸の刀全体に揺らぎが生じてしまう。そこをうまくまとめてくれる存在としてとても良い役割を果たしていたと感じました。
長谷部・不動くんと鵺と呼ばれる・時鳥の戦い
このシーンはですね、本当にこの二人と時鳥を戦わせるのかー!さっすが末満さん!!となりました。
鵺くんは、「今目の前にいる主を救いたい。」と、歴史の流れに関係なく、その身を賭して戦います。
それはかつて、「信長公を守るんだ!」と暴走していた不動くんそのもの…。
この二人と…と感動していたら不動君が自分で「これはあの時の俺と同じだ」というようなセリフを言ったので、やっぱりそういう意図だよねとなりました。
今守りたい相手が目の前にいるのに、守れないのは嫌だと抗う鵺くん、本当に泣けました…。そうだよね…今守りたい人がそこにいるのに、簡単にあきらめることはできないよね…。
骨喰藤四郎と足利義輝の最期
いやあのホントに、末満さんは人の心がどうしたら傷付くかを熟知しすぎているのではないですか!?
骨喰くんは、ずっと自分に記憶がないことを後ろ向きにとらえていますが…
「たとえお前が覚えていなくても、わしがお前を愛したことを覚えている」
よ、義輝ーーーーー!!!!!!!!
いえ、歴史上の人物に対して不敬だと思うんですが、さすがに叫ばずにはいられないですよこんなの。
自分が愛されていた記憶はなくとも、足利義輝は骨喰藤四郎を愛していたことを覚えていると、その愛は揺るがぬと…
そして介錯ですよ、鬼です、ええ鬼です。骨喰ちゃんの泣き顔がね、頭から離れないですよ…無理…
記憶はなくとも、覚えてるんですね。悲しみを感じるんですね…
「心に非ず」と書いて悲しみとは皮肉なものよ、と小烏丸は言いますが、私は心があるから悲しみを感じるんだと思うんです。
「非ず」とは、心が無いのではなく、心がその形を保っていられないという意味なのではないかな、なんて解釈しています。
三日月宗近と山姥切国広のラスト
円環の果てで、三日月とまんばちゃんが最後の刃を交えるシーン。
まんばちゃんが、三日月を失いたくないと、刀解される三日月を見て頽れるのを見てもう審神者は涙が止まりませんよ…無理…本当に無理…まんばちゃん顔綺麗…
白い三日月宗近が登場したときには二次創作もびっくりというか、ほんと超えてくるよなあ…って感じだったんですが、ここは千秋楽とそれまでで演出が違ったんですね。
ライビュしか見ていないのですが、全公演使って演出をしてくるところが本当に恐ろしく作り込まれた作品だなあと改めて心が震えました。
正直1回観ただけでは全然作品を飲み込めてなくてぐちゃぐちゃな感想になってしまったんですが、刀剣男士たちも他キャストさん、スタッフの皆さん本当に素晴らしい作品をありがとうございました!
これからどんな展開があるのかますます楽しみです。
それではまた!